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巷では電車の優先座席をめぐって暴力事件になることがしばしばある。
お年寄りが乗ってきた車内では若者が優先座席を占拠している。
そこに義侠心のある男性が乗り合わせていて、男性は若者に「お年寄りに席を譲れ」と言う。
若者は無視する。そこで義侠心のあるその男性は…
という事件がよくありますよね。

そういったことで暴力を振るう男性は、真実義侠心のある人だと信じたいし、
その行動に寸分の混じり気はないと信じたい。
でも、そのお年寄りは果たして、嫌々席を替わってもらっても気持ちよく座れたのだろうか。
わたしは今は妊婦で、優先座席に座ろうと思えば座れる。
でもそれは相手が自発的に席を譲ってくれた場合にかぎるという条件付きで。
嫌々渋々替わってもらってもわたしは気持ちよく座っていることができないし、よけいに疲れてしまう。

こういったことは他のあらゆることに当てはまると思う。
誰だって自分の考えていることは正しいと思っている。
誰だってその人の能力一杯一杯を駆使して考えて行動の指針にしている。
わたしは人間に対して希望をもっているから、優先座席を占拠する若者がいたっていいと思う。
彼らは同じ運賃を払っているから座ってもいいと思っているのだろう。べつに法に触れるわけではないし。
そして彼らを注意する人間がいたっていいと思う。
優先座席は体力のない人たちのために設けられた座席だから。
けれど、暴力や威嚇で相手を従わせても意味がない。
なんの解決にもならないし、言われた方・言う方も不快であるし、周りにいる人間にとっても息苦しい。

でも、こういったことはなくならないということを知っている。
他人を支配したがる人間というのは、いつだって正義だから。
正義のお面をつけられたら、言われた側はうなずくしかない。何を言っても無駄である。
そしてわたしは身を引いていく。
わたしは昔、十一歳の時、他人を支配したがる人間から身を守るために手首を切ったことがある。
それしか自分の命を守る手段がなかったから。だから自分の行動を後悔していない。
でも母がわたしの手首の傷を見たとき「なんで自分の体を大切にしないの!!」と言ってわたしを殴った。
でも、わたしは後悔していない。結果的にわたしは勝ったのだけれど。

長い間生きてきたけれど、いまだにこれの解決の仕方を知らないわたしです。
そのことで苦しんでいたりします。
どの本を読んでも回答を出してくれない。回答を出してくれる本こそがわたしの求める本なのに。
誰か答えを教えてくれるものなら教えてほしいです。